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伝説の教祖 - 昇合拾数(7)「ありあまる才能」

神童と呼ばれた男

伝説の教祖 - 昇合 拾数(のぼらい ひろかず)

東北地方の田舎町、333年の歴史を持つ神社に、次男坊として生まれる。物覚えの良さとその特異な言動から、神童と呼ばれ、将来を期待される。

 

しかし、若くして道を逸れた昇合は、波乱万丈の人生を歩む。神主、占い師、マジシャン、政治家、哲学者、など様々な肩書を持ち、浮浪者時代を経て、教祖として数々の記録を残すこととなる。

 

三度の「三種の神技」達成で日本中を驚かせ、世界に進出して「奇跡」を複数回達成。世界初の「神との調停」「宗教間トレード」「他宗教の神を信仰」など、型破りな教祖像を世に知らしめた。

 

やがて彼は、神と呼ばれるようになり、世界で最も人類を救済しつつ、世界で最も嫌われる存在となる。まさに彼は「異端」である。

「好きなことをとことんやりなさい」

 

 わずか1歳にして、神主としての才能を発揮し始めた幼少時代の昇合。神主が祭祀やお祓いの際に使用する祓串(はらえぐし)をおもちゃ代わりにし、素振りを繰り返していた。

 

 しかし、あくまで彼は次男坊。神社の跡継ぎは長男がいるので、親からしても、彼に神主の修行をさせる予定など無かった。もちろん、兄弟揃って神主になることは無くはないし、次男は別の神社で神主になるという方法もなくはない。しかし、まだ歩き始めたばかりの赤ん坊の昇合に、そんな複雑な境遇を知る由もなかった。

 

 それはそうと、家族は昇合を猫かわいがりした。すでに小学2年になっていた長男がしっかりしていたということもある。長男と昇合との間に長女もいたが、彼女は幼いながらに非常に落ち着きがあり、わがままも言わず、気が利く幼稚園児だった。上の2人の出来が良かったこともあり、「末っ子のこの子は自由に育てよう」と、周囲は考えていたのかもしれない。事実、それが彼の才能を伸ばすこととなる。

 

 幼少期にあまりに時間を割いてしまってはマズいので、話を少し進めよう。昇合が小学5年生の頃、町では彼は「神童」として有名になっていた。というのも、11歳にして神主の仕事をすべて覚えてしまったからだ。幼き昇合がようやく言葉を覚え始めた頃、家族から何度も言われた言葉がある。

 

「好きなことをとことんやりなさい。ただし、人に迷惑をかけてはいけません」

 

 そこで彼が始めたのは「神主である父や祖父に一日中くっついて歩く」というものだった。彼は祓串(はらえぐし)……つまり例の神主の棒を手に、一日中父や祖父の仕事を観察し、時にはその言葉や動きを真似し、仕事を体で覚えていったのだ。

 

 幼稚園や小学校に行く以外の時間は、ほとんどそれに費やしていた。そんな日々を何年も繰り返すうち、少年昇合は神主の仕事を一通り再現できるようになっていった。もちろん、動作や言葉の意味はわかっていない。しかし、傍から見れば立派な神主なのだ。参拝者の対応、神社内外でのお祓いや祭りでの祈祷・儀式、境内の掃除、設備や道具の修繕に至るまで、何でもこなせるようになっていた。

 

 

つづく